外貨両替クイックサービス全18通貨(米ドル・台湾ドル・香港ドル・韓国ウォン・中国元・ユーロ・ロシアルーブル・カナダドル・オーストラリアドル・ニュージーランドドル・シンガポールドル・タイバーツ・インドネシアルピア・マレーシアリンギッド・ブラジルレアル・エジプトポンド・南アフリカランド・日本円)が福岡空港国際線でついにスタート!しかもレートが安い!お得!それは外貨両替レートも血のにじむような企業努力とまるで乾いた雑巾を絞るように経費削減をした結果、福岡空港で一番安いレートを実現することができました!しかも手数料も一切不要です。また便利な外貨宅配サービスもございます。わが社のビジョンは外貨両替事業と7カ国語同時通訳ケータイ・手話サービス事業を通して世のため人のために尽くしそして生きた証を残します。そしてこの度、社運をかけて九州で初となる、リンカーンのロングストレッチリムジン(新型新車特別限定車)を走らせます!目指すは『観光の総合商社』です。

  

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2011年03月14日

【人生の最期に生きた証を残せるか!】

この6ヵ月間、沖縄の地元紙であります、「琉球新報」に執筆をさせていただきました。私のようなベンチャー企業のちっぽけな経営者にこのような機会を与えていただきまして、ほんとうにありがとうございます。
心より厚く御礼申し上げます。

最終回の記事をここに書きます。

抗がん剤治療の副作用はまだ始まったばかりだ。
薬が徐々に効きはじめる。これからは体だけではない。いよいよ自分との闘いが始まり葛藤を繰り返すのだ。
手足がしびれる。特に右手のしびれがひどい。箸やペンも握れないくらい指の感覚がほとんどない。

実は今でもそうだ。そして腫瘍を摘出した頸部の辺りも未だにしびれたままだ。

副作用の影響で興奮して夜も眠れない日々が続き、精神的にも不安定になる。連日の点滴と抗がん剤投与の繰り返しで、心もふさぎ込む。

忘れもしない3月11日、癌が左側の頸部にまで転移してⅡ期まで進行していると告げられる。脳の血管も狭くなっていると!

神はまたしても私に試練を与えるのか。人間は普段、まさか自分が癌になり、事故に合い、そして事件や震災に巻き込まれるなど考えもしない。だからテレビのニュースで流れる出来事はいつも他人事だ。当事者意識など一切ない。

仕事でも自分自身が当事者になって初めて、事の重大さに気づく。この闘病を機に私の考えが大きく変わることになった。「そうだ!生きた証を残そう。」もちろん死ぬつもりはない。

しかし人はやがて誰もが死を迎える。その人生の終わりに生き様は残せるか!

私は人財を残し、事業を残して世の為、人の為に尽くす。そして最期は生きた証を残すと心に固く決めた。

お見舞いでいただいた梨の香りをほのかに甘く感じながら・・・。

  

2010年12月27日

【悪性リンパ腫と闘った男の物語 第16話】

病院食が長く続くと、だんだん濃い味の食事が恋しくなる!幸い私の場合、抗がん剤治療の副作用で食欲不振に陥らずにすんだので、ガツガツと食べた・・・。

ナースステーションの前でおこなう毎朝の体重測定でも看護婦さんに注意されるほど体重が増えた!

ある日の夕方・・・。お腹が空いたので、浜の町病院の近くにあるうどんウエストに行った・・・。

「うまい!」たぶん病院食の薄味に慣れてしまったせいだろう、入院前よりもうどんのスープがとても美味しく感じる!

世間から遠ざかって入院生活が長いと、病院というところはひとつのコミュニティであることに気づく。特にお年寄りにとっては話し相手が増えて居心地がいい場合もあるだろう。ところが、若くて将来のある私はそうはいかない!やらなければならないことが山のようにある。
早く病院から脱出(もちろん退院のこと)したいという気持ちがうどんを食べながら一層強くそのように感じた・・・。

ちょうどそなときにNBC(九州ニュービジネス協議会)の事務局から私の携帯電話にプレゼンの依頼があった!

事務局「二宮さん、お元気ですか。九州ニュービジネス協議会の〇〇です。・・・久しぶりにプレゼンしてみませんか!」

二宮「はい!よろこんで♪」   これで、先生から外出許可がもらえる!



もちろん、事務局の方(名前を忘れた・・・)は私が入院していることは知らない。しかもガンで入院とは!

2010年ももう終わろうとしている・・・。今年は結局、人間ドックとペット検診に行けそうもない。
2011年の1月末までには必ず和白病院に行こう!3日間の検診に少し付き合ってくれる人も現れたぞ♪


人生はドラマだ!


そう、いま私は生かされている・・・。そして世のため人のために尽くして生きた証しを残す。
この物語りも私の生きた証しであり、生き様である!

人生は一度きり!人生もベンチャーだ!

続く・・・。












  

2010年09月11日

【悪性リンパ腫と闘った男の物語 第15話】お見舞い編

「コンコン!」と優しいノックの音がする。このノックの仕方、そしてこの音は恐らくウチのフクフクだ!
彼女が動揺しないように、私は、すかさず頭にバンダナを巻く・・・。
「はい。どうぞ・・・。」

案の定、ティスコのフクフクがお見舞いにやってきた・・・。というよりも月末の支払い関係の確認である!
彼女はいつも手土産にヤクルトを持って来てくれる。しかもパックで!


彼女はほんとうにがんばり屋さんだ!この10年間、今までに彼女の口から忙しいとかバタバタしているとか一言も聞いたことがない。それだけプロ意識が強く、仕事に対する責任感も人一倍強いのだ。

「いつもありがとうね!」と心の中で感謝の言葉をつぶやく・・・。

さて、ふたりでシングルベッドの上に(つんくか!)取引先各社から届いた請求書を並べてチェックをおこなう。ベッドの上はまるでトランプの神経衰弱状態のように、きれいにたくさんの請求書が並ぶ・・・。

私は考えた・・・。私が居なくても会社はまわらなければならない・・・。たとえベンチャーであってもいつまでも私一人でなんでもかんでもやっていたら、会社の存続などありえない!
このときから、組織造りに着手していかなければならないことに気づいた。

無事に今月末の支払い内容の確認を済ませると、炎天下の中、彼女はまた遠く空港まで戻って行ってしまった・・・。

人生はドラマだ!


そう、いま私は生かされている・・・。そして世のため人のために尽くして生きた証しを残す。
この物語りも私の生きた証しであり、生き様である!

人生は一度きり!人生もベンチャーだ!

続く・・・。

そうそう、いま第14話を読み返して気づいた。「人生60年説」の話はまた次回にするとしよう!



  

2010年06月26日

【悪性リンパ腫と闘った男の物語 第14話】お見舞い編

ある日のことである。私が病室のベッドでぐったりしていると、福岡市創業支援室(当時)のやっちゃんこと安川さんと美人妻(こう書くとやらしく聞こえるなぁ・・・)そして愛娘のモモちゃんが、仲良く3人そろってお見舞いに来てくれた♪

(私が入院していた病棟は血液内科のため、入室する前には必ず消毒液で両手を殺菌し、そしてマスクも着用となる。
そしてお見舞いの花束は花粉が飛ぶせいなのか、病室に持って入ることはできない。だからせっかく持ってきていただいたお花はナースステーションで全て預かることになるのだ!)

安川さんは、福岡市役所のキムタコ違う、違う、キムタクと呼ばれるくらい、なかなかのイケメンだ!

「二宮さん、よかったらこれ読んでね!」と差し出したのは『歴史上の人物図鑑全2巻』である。さすがベンチャー支援に携わるだけあってにくいよ、やっちゃん!

「ありがとうございます!」

入院中に私はこの本を読破して、いろいろなことを学んだ・・・・。

「人は健康であれ、やがてみんな死んでいくものだ・・・。そうだ!どうせ死ぬのなら、生きた証を残そう!」と私は固く心に決めた。

そこで自分なりに考えたのが『人生60年説理論』である!

人生はドラマだ!


そう、いま私は生かされている・・・。そして世のため人のために尽くして生きた証しを残す。
この物語りも私の生きた証しであり、生き様である!

人生は一度きり!人生もベンチャーだ!

続く・・・。







  

2010年06月15日

【悪性リンパ腫と闘った男の物語 第13話】お見舞い編

入院生活を送っていると、普段お世話になっている、いろいろな方々がお見舞いに来てくれる。

基本的には会社に私宛の電話が入ると、長期で海外出張に行っていることになっているのだが、やはり情報は漏れるものだ!

ある日、うるさいヤツが見舞いにやって来た!(本人の名誉のためにあえてフォローすると、本心はもちろん嬉しいのです)
久池井 博である。ベンチャー仲間で、彼は当時株式上場に向けて準備をしており、その忙しい合間をぬってわざわざ見舞いに来てくれた・・・。

声はデカイが、友達思いのいいヤツである!個室でよかったよ。ニックネームはクッチーで、命名者はこのわ・た・し!
マジで声が大きいので、携帯電話で会話をするときは、机の上に携帯を置いたまま話すことができるから、MR.ハンズフリーとも呼ばれている。ウケる!

クッチー「ニノピー、果物をたくさん摂った方がいから、はいこれ!(豪華果物詰め合わせセット)」
ニノピー「クッチー、ありがとうね!」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

クッチー「ところで、創業支援室の安川さんも見舞いに来るって言ってたよ!」

(安川さんとは福岡市の方で、当時ベンチャー支援の担当者であった・・・。いまのティスコがあるのは安川さんのおかげだ!というのも、福岡市ステップアップ事業のエントリー最終日に、私が体調が悪く、企画書を仕上げるにはどうしても時間がないから断りの電話を入れると、「あとどのくらいで完成しますか。」「あと1時間くらいです。」「それでは出来たら持ってきてください。それまでお待ちしています。」「わかりました!ありがとうございます。」というやりとりをして、企画書を急いで作成して持参した。

あのとき安川さんが私が来るのを待ていてくれなかたら、間違いなく「テレビ電話を使った手話通訳システム」がステップアップ助成事業の候補に選ばれるはずはない!彼は夜遅くまで、待っていてくれた・・・。

そして見事にステップアップ事業奨励賞をゲットすることができた。ありがとう!安川さん・・・。

ときどき、クッチーや安川さんなどのベンチャー仲間たちと飲みに行って馬鹿騒ぎすることがあるが、とても楽しい!
なぜって?それは人生を熱くそして前向きに語り合う、利害関係の全くない、純粋な友達だからである。


人生はドラマだ!


そう、いま私は生かされている・・・。そして世のため人のために尽くして生きた証しを残す。
この物語りも私の生きた証しであり、生き様である!

人生は一度きり!人生もベンチャーだ!

続く・・・。












  

2010年05月24日

【悪性リンパ腫と闘った男の物語 第12話】抗がん剤編

浜の町病院に入院中に運転免許の更新が近づいてきている・・・・。

誕生日が過ぎて一週間後の5月27日の日に外出許可を取った・・・。しかし、抗がん剤治療の副作用の影響で相変わらず、体が言うことをきかない!

手足のしびれも治まらないままだ。体がとにかくだるい、重い・・・。

ほんとうに外に出て南区桧原にある運転免許試験場まで行けるのだろうか・・・。

外出の当日、まあまあ体調はいい。私は久しぶりにスーツの袖を通した。ダブルのスーツだ!もちろん、ネクタイも締めている・・・。
自家用車の××××××××で試験場に向かう。

はげ頭にダブルのスーツを着て、車は××××××××・・・まるでヤクザと間違われるのではないか!




左側が5年前の免許証である。人相が明らかに悪いし、目つきもかなり悪い・・・。ちなみにゴールド免許証・・・。その隣りがつい先日、更新した新しい免許証だ!

試験場で古い免許証を係の方に差し出すと、その係の男性に二度見されたことがとても印象に残っている。驚くのも無理はない!

これまでは取引先の銀行の支店に行くとよく、「身分証明書を出してください。」と言われるが、私は運転免許証を出さずに保険証を出していたものだ・・・。特に窓口に顔見知りの女性がいるとお互い反応に困るから・・・。しかし、出張先でレンタカーを借りるときはそういうわけには行かなかったのを覚えている。

はるな愛の気持ちが少しは分かるぜ!

人生はドラマだ!


そう、いま私は生かされている・・・。そして世のため人のために尽くして生きた証しを残す。
この物語りも私の生きた証しであり、生き様である!

人生は一度きり!人生もベンチャーだ!

続く・・・。




  

2010年05月12日

【悪性リンパ腫と闘った男の物語 第11話】再会編

あれから5年・・・・。ついに竹下さんと再会の日がやって来た!

待ち合わせ場所は岩田屋デパートの前・・・。それには理由がある。リムジンを停めやすいから・・・。

この日ばかりは坂本に無理をお願いしてリムジンを出してもらった。

そう、サプライズだ!竹下さんを驚かせようとリムジンで迎えに行ったのだ。最初にひとりでリムジンに乗るのは、結構勇気がいる。ドキドキだ!

降りしきる雨の中(ちょっとオーバートークです)、岩田屋に着くと、坂本がいつものようにドアを開けてくれる。

そして私は颯爽と後部座席から外へ降りると(かっこいいface05我慢できずについに絵文字をいれてしもうた)、私は傘もささずに降りしきる雨の中(しつこいです)竹下さんの姿を人目を気にしながら佐賀市、じゃなくて、探していた。

(いい場面なのにコミカルになってしまうのは、自分を抑えられないからか!正直な俺・・・。)

人生はドラマだ!

そう、いま私は生かされている・・・。そして世のため人のために尽くして生きた証しを残す。
この物語も私の生きた証しであり、生き様である!

人生は一度きり!人生もベンチャーだ!



続く・・・。

  

2010年04月26日

【悪性リンパ腫と闘った男の物語 第10話】抗がん剤編

手足がしびれる・・・。そして腫瘍を摘出した頸部の周辺もいまだにしびれたままだ・・・。
特に右手のしびれがひどい。箸やペンも握れないくらい指の感覚がほとんどない!

抗がん剤の副作用の影響で興奮して夜も眠れない日々が続く・・・。それに精神的にも不安定になる・・・。

毎日点滴と血液検査の繰り返しで、左右の腕があざだらけになってしまう・・・。

そんなとても心が塞ぎ込んでいたある日、アメリカからわざわざお見舞いに来てくれた方がいた!
私が独立する前の職場で知り合った女性である。竹下さんだ。彼女とは前の職場が閉鎖するまでの、わずか1年間ではあったが一緒に仕事をした同僚である。

私が会社を立ち上げた時も少し手伝ってくれた、とても優しくて思いやりのある女性・・・。笑顔も素敵だ。

その竹下さんがお見舞いに来てくれるなんて信じられない!でも、もちろん嬉しさは隠せないに決まっている。

私はベッドの上で寝ていたが、彼女が病室に入って来てその姿を見ると、私は無理して起き上がろうとした。

「二宮さん、無理しなくても大丈夫ですよ。」

私はツルツルになった頭を見られたくなくて、バンダナで髪の毛の無い頭を隠していた・・・。


あれから5年が経った・・・。そしてまたあの竹下さんが5年ぶりにアメリカから福岡に戻って来る!5月の連休明けに再び会う約束も既にしている。
今から再会がとても楽しみ。

人生はドラマだ!


そう、いま私は生かされている・・・。そして世のため人のために尽くして生きた証しを残す。
この物語りも私の生きた証しであり、生き様である!

人生は一度きり!人生もベンチャーだ!

続く・・・。



  

2010年03月30日

【悪性リンパ腫と闘った男の物語 第9話】抗がん剤編

ベッドからもう起き上がることができないのか!

1回目の抗がん剤が少しばかり多かったせいで、体が言うことを効かないのだ!
とにかくきつい、だるい、そしてぐったりして自力でベッドから上半身さえ起こすことができない。このまま寝たきりになるのか・・・。

副作用の影響で肝機能が低下してしまった。しかもC型肝炎まで併発するとは!!!
誰かがこの事態を予測できるのなら、教えてほしかった・・・。しかし未来など知る由もないのが現実だ。

いろんな思いが駆け巡って、ベッドの上で号泣してしました。子供の頃経験したであろう、肩で泣く感じだ。
さらに嗚咽も止まらない・・・。それをそばで見ていたベテラン看護婦さんが慰めてくれて、私の体を起こすのを手伝ってくれた。

「二宮さん、大丈夫ですよ。きっと良くなりますから・・・。」

「・・・・。」

段々と未体験ゾーンへと入っていく・・・。

もう喜怒哀楽するら感じる余裕など皆無である・・・。ずっと寝たきりの状態が続く・・・。

この痛みと苦しみは癌患者しか分からない。

人間は普段、まさか自分が癌になり、事故に合い、そして事件や震災に巻き込まれるなど考えない。だからテレビのニュースで流れる、出来事はいつも他人事だ。当事者意識など一切ない!

だから当事者になって初めて、事の重大さに気づく。

そう、いま私は生かされている・・・。そして世のため人のために尽くして生きた証しを残す。
この物語りも私の生きた証しであり、生き様である!

人生は一度きり!人生もベンチャーだ!

続く・・・。


  

2010年03月19日

【悪性リンパ腫と闘った男の物語 第8話】抗がん剤編

「ズボッ・・・ズボッ・・・。」髪の毛が抜けていく・・・・。

1回目の抗がん剤治療を終えたその日は、特に副作用の影響は感じられなかった。
しかし、次の日から体に異変を覚え始める・・・。
副作用の影響でいくつもの症状が体に出始めるではないか!

髪の毛が抜けていくことは、抗がん剤治療を受ける前から覚悟していた。
2日目の朝、無意識のうちに両手で髪をかくと、指の間にたくさんの髪の毛が残る。

「なんじゃこりゃあぁぁぁぁ!!!」と思わず叫んだ。

テレビドラマ『太陽に吠えろ!』の松田優作演じる、ジーパンデカの殉職シーンで、最期に松田優作が絶叫する場面を思い出す。

今度は髪を引っ張ると面白いくらい冒頭のように「ズボッ・・・ズボッ・・・。」と、髪の毛が抜けていった・・・。

これは大変だ!尋常ではない!しかしこれが現実なのか!

私は、急いで浜の町病院の地下1階にある散髪屋へと駆け込む!
「丸坊主にしてください。」

散髪屋のご主人も数々の患者さんたちを見てきているから、その一言で私がどんな病気なのかもすぐに察しがついたのだろう・・・。
しばらくして散髪も終わると、主人がこう言った・・・。
「坊主にしてどんなに髪を短くしても髪は抜けてしまうから、ガムテープを用意していた方がいですよ。」

「あぁ・・・、意味が分かりました。ありがとうございます。」

坊主にしたのはどれくらい振りだろうか。学生のときに体育会系のテニス部に入っていたが、夏の合宿前や練習に遅刻した時は、先輩からの命令で、よく丸坊主にしたものだ。あの頃が懐かしい・・・。体育会系で鍛えられたおかげで、上下関係と礼儀は体に染み付いた!



鏡に写った自分を見ると、思わず笑ってしまう。そして少し若くなった感じだ!
「なかなか似合うぜ!俺。」

病室に戻ってまたベッドに横たわりしばらく眠りについた。そして、ふと目が覚めると・・・・。
そして白いベッドの上には、小さな髪の毛がたくさんの固まりのように集まって抜けていた。

私は、散髪の帰りに立ち寄ったナースステーションでもらったガムテープを何枚も切っては、ペタペタと短い髪の毛たちを取っていく・・・。
「これくらいどうってことはない!」「平気だ!」

抗がん剤治療の副作用はまだ始まったばかりだ。これだけでは済まない・・・。
薬が段々と効きはじめる!これからは体だけではなく、抗がん剤は精神的にも・・・。いよいよ自分との戦いが始まった。
葛藤も繰り返す・・・。

そう、いま私は生かされている・・・。そして世のため人のために尽くして生きた証しを残す。
この物語りも私の生きた証しであり、生き様である!

人生は一度きり!人生もベンチャーだ!

続く・・・。







  

2010年03月08日

【悪性リンパ腫と闘った男の物語 第7話】抗がん剤編

次の日からまた入院生活が始まった・・・。

浜の町病院はとにかく建物が老朽化してる!しかし、看護婦さんたち(ここでは看護士とはあえて書かない)はとても親切だ。

あいにく一般病棟の個室に空き部屋がなく、空きがでるまでしばらくは小児病棟の個室に入院することとなる。部屋号室ではなく、動物名で、確か「きりんさん」だったか!?

廊下では看護婦さんたちが、患者さんたちを動物名で呼び合う声が聞こえるではないか。

当然ながら、私には余裕が無く部屋の名前など関係ない!どうでもいい。

主治医がここでも美人の女性であったが(前回も書いたが病院では女性運がいい)、ここまでくるともう誰でもいい・・・。

先生「二宮さん、明日から抗がん剤を投与していきます・・・。最初は抗がん剤の量を多めにします。2回目からは様子を見て適度な量にします。」
二宮「はい・・・分かりました・・・。(覚悟はできている!)」

翌朝、抗がん剤と点滴剤がそれらをつり下げるスタンドといっしょに病室へと運ばれてきた・・・。

いよいよ1回目の抗がん剤治療が始まる・・・。病室に緊張感が走る・・・。もちろんこの私も緊張しないわけがない!


そう、いま私は生かされている・・・。そして世のため人のために尽くして生きた証しを残す。

この物語りも私の生きた証しであり、生き様である!

人生は一度きり!人生もベンチャーだ!




退院後、ほぼ元気になった私は間もなくして、渡米することを決めた。入院中にアメリカからメールでアプローチのあったある会社の社長に会うためだ。

写真はその会社と契約(その場で即サイン)を結んだ直後に先方の社長と握手を交わしているところ。

見ての通り、頭には産毛が生えてきたところであるが、眉毛はまだとても薄いのが分かる。
抗がん剤は頭の毛だけではなく、全身の毛が抜けてしまう・・・。



  

2010年02月28日

【 悪性リンパ腫と闘った男の物語 第6話】抗がん剤編

「うーっ、、、痛い!」まるで魂を吸い取られるかのようだ・・・。

映画「ゴースト ニューヨークの幻」の主人公を演じたパトリックのように魂が天国に向かって昇天する感じだ。

そのパトリックもすい臓がんでほんとうにこの世を去ってしまった。彼が癌に侵されていると気づいたときはⅣ期であった。
いわゆる、末期がんである・・・。

血液内科のある浜の町病院(福岡市中央区舞鶴)に移った初日のことである。
先生が、「骨髄液を検査する必要があります・・・。」と言われ、さらに続けてこう言った。「今日、骨髄液を取る覚悟があるならいまからでも準備できますが・・・。」

『覚悟』という言葉はなかなかいい言葉だ!私に対してそう言ったのだが、先生自身も真剣勝負に違いない。

人生もビジネスも『覚悟』が必要である!

この時から私は、『覚悟』という言葉を意識して使うようになった。

「分かりました。」診察室のベッドに横たわったまま私は、なんの躊躇することもなく即座にこう応えた。

胸の真中に大きな注射針が刺さる。そして針が胸の奥深くまで入り込み、さらに肋骨までたどり着くと骨髄液が抜き取られる。!「うーっ、、、痛い!」注射器が引かれると同時に体ごと引っ張られる感じがするではないか!

とにかく胸が苦しい・・・、呼吸ができない!息が止まりそうだ・・・。


これで注射に対する概念が変わった。いままでは注射といえば、腕などに打つものと思っていたが、まさか自分の胸に打つとは誰が想像しただろうか。

誰でも血液検査で血液を採ったことはあるだろうが、骨髄液はわけが違う。こんなつらい思いはもう沢山だ!!!

しかしこれからもっと過酷な日々を迎えることはまだ知る由もない・・・。

そう、いま私は生かされている・・・。そして世のため人のために尽くして生きた証を残す。

人生もベンチャーだ!

続く・・・。
  

2010年02月22日

【悪性リンパ腫と闘った男の物語 第5話】

腫瘍の摘出手術後は、もう顔と頭は包帯でぐるぐる巻き状態だ!

これが日常生活にはとても大変なんです。というのも首が左右に動かせないから。退院後特に大変だったのは車の運転で、左右の安全確認がもう困った。首を動かせないから、安全確認は体ごと、右や左へと振っていましたね。

そう言えば、手術前の説明では女の先生にこんなことを言われてショックを受けたことを思い出した。

「二宮さん、顔面には細かい神経がたくさんあります。特に頸部あたりには集中しています・・・。万が一、誤ってその細い神経を切った場合は、顔が少しゆがむことがありますから・・・。」

男前の患者「(絶句!OH!MY GOD!頼むけん、切らんとってぇ)」心の中で懇願!

済生会病院耳鼻科の執刀したなんとか言う男の先生は評判がいいと聞く。腕はきっと確かだろう!そう信じる・・・。

実際あれから5年も経つが、右耳の後ろあたりから頸部に沿ってメスを入れたので傷はほとんどと言っていいくらい目立たない。

先生のおかげで顔は曲がらずに済んだが、癌のおかげで根性はかなりいい方向に曲がった、いやかなりねじれたかもしれん。

当時、扁桃腺が弱い私は毎月38度以上の熱をだしていたので、腫瘍の摘出といっしょに扁桃腺も切ってもらおうと考えたが、さすがにドクターストップがかかりましたよ。

さて術後、2週間ほどしてから無事に退院です。病院からもらった手土産の包帯とテープを持ってね!

残念ながら済生会病院は血液内科がないので、結局、紹介状を先生に書いてもらって中央区舞鶴にある浜の町病院に行くことになった・・・。これで4回目の転院・・・。

そこでいよいよもがき苦しんで壮絶に自分自身と戦うことになった、抗がん剤の投与が始まる・・・。
しかも3回も抗がん剤を受けるとは!根性付いたぜ。

そう、いま私は生かされている・・・。そして世のため人のために尽くして生きた証を残す。

人生もベンチャーだ!

続く・・・。




この写真は平成16年度福岡市ステップアップ事業で奨励賞を受賞したときのものです。高熱と痛みで苦しんでいる私です。が、それでも笑顔は忘れない。さすが営業マン!この受賞をきっかけにステップアップした(つもりかも?)ものの、いまだになかなジャンプしきれないベンチャー企業のティスコ!




左の写真は親友の久池井 博で声がでかくてとてもうるさい男で福岡じゃあとても有名人です。携帯電話で久池井と話すときは携帯をテーブルに置いたまま会話ができるほど、とても便利なヤツです。いわゆるハンズフリー機能を持ち合わせてる。あはははは!いまは農業ベンチャーやってます。

しばらくしたらこの物語りに登場しますよ。彼とは漫才を組んでおり、コンビ名は「ザ・ベンチャーズ」。「ザ」が久池井で「ベンチャーズ」がこの私。またもウケる!あはははは!

真中の写真は永里君で、いまはロボットベンチャーの社長です。いわゆるオタクです。あはははは!

結局、創業から10年以上も存続しているのはこの中でティスコジャパンだけなんです!ということが言いたかった!?(クッ)

要するにM-1グランプリもそうですが、活躍するのは二番手のオードリーであるようにステップアップ事業も二番手だったティスコジャパンが今でも頑張ってるぞ!毒舌が冴えてるかも!
そういえば、ニュービジネス協議会主催のビジネスプランコンテストも二番手だったなぁ・・・。








  

2010年02月13日

【悪性リンパ腫と闘った男の物語 第4話】

普段は3秒で眠ることが出来るこの私も、生まれて初めて手術を受ける前の晩はさすがに興奮してなかなか寝つけない・・・。

「そうだ。そう言えば、先生から睡眠薬をもらったんだ。」
早速それを小さな紙袋から取り出して、1錠飲むとグッスリと眠れた。さすが俺だ!至って単純。分かりやすい!

日ごろから大変お世話になっているJMTUKさんからは、「にのちゃんはいつもニコニコしていて悩みないよねっ!」って肯定的に言われるほど、私は単純で能天気なんでしょう。とにかく気持ちよく眠れた・・・。

いよいよ手術当日の日がやってきた。(妙に明るいニュアンスを感じる)

さすが看護婦さん(ここでは看護士と呼ばずにあえてこのように書くことにした)たちは手際が良い。あれよあれという間に、ベッドの上から私を手術室へ運ぶ細いベッドのような台(ストレッチャー)へと移してくれた。

よくドラマで見かけるワンシーンだ。点滴を打ちながら、手術室へと運ばれる。

「二宮さーん、今から麻酔をかけますね!」と言われて顔にマスクを当てられると、「眠くならんかったらどげんしょう・・・。」と心配性な私は心配する間もなく夢の中へ・・・。

それから手術も終わり目が覚めると、私は集中治療室に居ることに気がついた。

「うん?」なんだか下半身がおかしい・・・。そうなんです。管がつけられていました。もうまな板の鯉です。好きにしてくださいって感じ・・・。

経過も良好で1日程度で病室へ戻ることができた。一応個室です。(自慢か!)ベンチャーはシゴトと携帯は手放すことができませんから、ベッドの上でも仕事をしていましたからね。大部屋だと他の患者さんに迷惑がかかりますから。

「二宮さーん、そろそろ管をとりましょうか。」看護婦さんはなんだか嬉しそう・・・。
「それじゃあ、取りますよ!」

「スコーン!」おいおい、違う、違う。そうじゃないでしょ。(少し誇張表現はいってます・・・。)

ある日のこと。テレビをつけると、映画「天国で君に逢えたら」の主人公であるプロサーファー飯島夏樹さんのドキュメンタリーが流れていた。
そうです。癌を告知され、余命数ヶ月とも言われましたが、1年以上でしょうか、癌と戦って自力で生き延びることができた実話です。すごい生命力ではありませんか!

もう涙が止まりません・・・。号泣です・・・。

『俺もいつかこげな体になってしまうんか!』その時、夏樹さんはほほはこけて、体はとても痩せ細っていました。あの小麦色の肌がとてもよく似合う、筋肉質の夏樹さんがです・・・。
そして全身にはいくつもの管が付けられていました。またお腹にもいくつもの手術の傷跡が残っていました・・・。

画面に映し出された夏樹さんは、癌の末期とは思えないくらい、いつも明るく元気一杯の方のように見受けられました。


そう、いま私は生かされている。

人生もベンチャーだ!

続く・・・。



  

2010年02月07日

【悪性リンパ腫と闘った男の物語 第3話】

「二宮さーん、じゃあここに横になってくださいね。今から腫瘍の細胞をとって検査します。少しチクッとしますから我慢してくださいよ。」と主治医(女性)の先生に言われると、横たわった私の目の前を大きな注射器が通り過ぎる・・・。

「アウチ!」(欧米か!古いなぁ)と心の中で思った瞬間、「はい。もう終わりましたからね!」と先生・・・。
「二宮さん、検査結果は来週でますので、また1週間後の金曜日に来て下さい。」

それから、検査結果のことなどすっかり忘れて仕事に追われてたのある日の午後、私の携帯電話が鳴る・・・。
「二宮さん、済生会病院ですが、検査結果がでました。話したいことがあるので、ちょっと来てくれますか。」

いったいなんだろう・・・。
                     -----

そして約束の日、済生会病院の耳鼻科の診察室で、先生がなんだか神妙な面持ちでしかも自信なさそうに(私にはその時、そう感じた)私にこう切り出したのだ。
「実は、先日検査した細胞は・・・悪性でした・・・。一日も早く腫瘍を摘出した方がいいです。」心の準備ができないまま、癌の告知を受けたのだ!

癌の告知を受けた私は、まるで金づちで頭を殴られたかのように、気絶しそうなほどとにかくショックでした。そして、もう頭の中は真っ白です・・・。

病名は悪性リンパ腫・・・悪性、つまり癌です・・・。血液の癌ですから転移する可能性は充分にあるのです。あとで分かったことだが、実際、左側の頸部にまで転移していた。初回にも書いたが、癌の進行はⅡ期であった。

どうして、この私が癌になるのか!何か悪いことでもしたのでしょうか!現実を直視できない私は、しばらく待合室のベンチで頭をかかえてうずくまって泣いてしまった。涙が止まらない・・・。

その夜、仕事を終えた私は、福岡空港国際線の駐車場に停めてあった車の中で、もうこらえ切れずに泣いて、泣いた・・・。涙が枯れるまで泣いた。嗚咽が止まらない・・・。

「この日くらいは泣いてもいいだろう。」とひとりつぶやきながら思い切り泣いた・・・泣きじゃくった。

肩を震わせて泣いた・・・。「親より先に死ぬのか!」「そんな親不幸なことはできん!」「家族にはなんと話せばいい・・・。」「会社はどうなるのか!」

『母さん、父さん、なんて私は親不幸な息子なんでしょうか。二人より先に死んでしまうんでしょうか。』

親より先に死ぬほど、そんな親不孝なことはない。

当然ながら、癌に対する知識が全くない私は、癌=死という図式が頭に浮かんでいた。

いろいろなことを思いめぐらせると、もう涙が溢れでて止まらない。今日は泣くだけ泣こう。
そう思うと人一倍涙腺の弱い私は涙が留めなく、滝が流れるように涙が滴り落ちていった・・・。
その日は2時間近くも車の中で、とにかく泣くだけ泣いた・・・。



たまたま同じスーツを着て同じネクタイを締めていた写真があったので、比較するとよく分かる。(今だから言えるが、まるでビフォーアフターのようだ。)

抗がん剤を打った写真の方が明らかに元気だ!

いよいよ腫瘍摘出の手術を受けることになる・・・。

そう、いま私は生かされている。

人生もベンチャーだ!

続く・・・。
  

2010年02月02日

【悪性リンパ腫と闘った男の物語 第2話】

人間ドックとPET検診を受ける病院は、九州では最新鋭の医療機器を揃えている和白病院にした。
私と親友の曽根崎さんは合宿気分で病院に向かう。いや、もしかしたら私だけかもしれない・・・。

さて、2日目に将来の私の考え方を大きく変えることになった、未体験ゾーンであるPET検診室へと足を踏み入れる。

40分~50分してすべての検査を終えた私は控え室で名前を呼ばれるのを待つことになった。
今思えば、その検査結果を未だ知らない私は、控え室でいったい何を考えていたのだろうか。きっと会社や従業員のことを考えていたに違いない。なぜって、ベンチャー企業の社長だから。いつでも将来不安さっ。

女性職員が、「二宮さ-ん、結果がでましたのでこちらにお入りください。」私は「はい。」と返事をして部屋に入ると、そこにはまたしても女の先生だ。病院では女性運がいい!確かにこの先、2つの病院をたらい回しされるが、どこも女の先生が処置にあたってくれた。ついてる・・・。

先生が、「二宮さん、ここを観て下さい。青く光ってるでしょ。ブドウ糖が集まってるんですよ!」と言って写真に写っている右側の頸部を指した。

「これは、腫瘍の疑いがありますね。まあ、恐らく(両性、俺はカエルか!)、良性でしょうから安心してください。念のため再検査はした方がいいので、市内の病院だったらどこがいいですか。紹介状を書きますよ。」

いま考えると、何を根拠に良性の腫瘍と先生は言ったのだろう。私を安心させるために良性と言ったのか・・・。
ちなみにビジネスの世界では「・・・だろう。」といった不確かな憶測はタブーだ!


不安が頭をよぎる・・・。

私は、「そうですねぇ、天神にある済生会病院が行きやすいので、そこにします。」
和白病院で再検査できないのは、耳鼻科がなかったからである。(不親切かも・・・。)


それからしばらくして、私は紹介状を持って済生会病院へと行き、運命の告知を受けることになる・・・。

人生もベンチャーだ!

続く・・・。



この頃の私は熱とだるさでかなりつらい表情をしているのが分かる。




  

2010年02月01日

【悪性リンパ腫と闘った男の物語 第1話】

まさか自分が癌になるとは誰が思うのか!晴天の霹靂とはこのことをいうのか。



そう、あれは決して忘れることができない5年前の10月のこと・・・。体の調子がおかしい。
とにかく体が熱く、微熱が下がらない。
そして寝汗がひどい。夜中にシャツを3枚も着替えるほど汗が止まらない・・・。
自分の体に異変を感じはじめたのはその時からだ。

会社を立ち上げて5年目でもあり、日々忙殺されてなかなか病院にも行けない。でも体が明らかにおかしい。悲鳴を上げている。
ほっといていた右の頸部にできた1センチほどのしこりも、いつの間にか2センチにもなる。
これはほんとうにただ事ではない!ようやく私は、病院に行くことに決めた。


最初に行った病院は家の近くにあるA病院だ。問診を済ませると、耳鼻科に通される。
女性の担当医「二宮さん、おそらくこの腫れは耳下腺に黴菌でも入ったと思いますよ。」
二宮「はあ、そうですか・・・。」

(医者や政治家たちが「・・・と思う。」と言うのは自信が無い証拠だ!ちなみにティスコでは決してこの言葉を言わせないことにしている。)

さて、もらった薬を飲んでも腫れがひくどころか、ますます大きくなるではないか!

医者も当てにならないと悟った私は、生まれて初めて人間ドックとPET検診を受けることに決めた。
仲良く親友の曽根崎さんといっしょに受診することになった。

1泊2日の検診で20万円以上はかかる。たまたま小さなベンチャー企業の経営をしていたので、なんとか支払うことができた金額だ。

もし当時もサラーリーマン生活を続けていたら、絶対に支払える金額ではなし、もちろん病院にも行かない。
そう考えると、おそらく私はこの世には生きてはいないかもしれない。
そのときすでに癌がⅡ期まで進行していたとは・・・知るはずもなかった。

そう、いま私は生かされている・・・。

人生もベンチャーだ!

続く・・・。