2010年02月07日
【悪性リンパ腫と戦った男の物語り 第3話】
「二宮さーん、じゃあここに横になってくださいね。今から腫瘍の細胞をとって検査します。少しチクッとしますから我慢してくださいよ。」と主治医(女性)の先生に言われると、横たわった私の目の前を大きな注射器が通り過ぎる・・・。
「アウチ!」(欧米か!古いなぁ)と心の中で思った瞬間、「はい。もう終わりましたからね!」と先生・・・。
「二宮さん、検査結果は来週でますので、また1週間後の金曜日に来て下さい。」
それから、検査結果のことなどすっかり忘れて仕事に追われてたのある日の午後、私の携帯電話が鳴る・・・。
「二宮さん、済生会病院ですが、検査結果がでました。話したいことがあるので、ちょっと来てくれますか。」
いったいなんだろう・・・。
-----
そして約束の日、済生会病院の耳鼻科の診察室で、先生がなんだか神妙な面持ちでしかも自信なさそうに(私にはその時、そう感じた)私にこう切り出したのだ。
「実は、先日検査した細胞は・・・悪性でした・・・。一日も早く腫瘍を摘出した方がいいです。」心の準備ができないまま、癌の告知を受けたのだ!
癌の告知を受けた私は、まるで金づちで頭を殴られたかのように、気絶しそうなほどとにかくショックでした。そして、もう頭の中は真っ白です・・・。
病名は悪性リンパ腫・・・悪性、つまり癌です・・・。血液の癌ですから転移する可能性は充分にあるのです。あとで分かったことだが、実際、左側の頸部にまで転移していた。初回にも書いたが、癌の進行はⅡ期であった。
どうして、この私が癌になるのか!何か悪いことでもしたのでしょうか!現実を直視できない私は、しばらく待合室のベンチで頭をかかえてうずくまって泣いてしまった。涙が止まらない・・・。
その夜、仕事を終えた私は、福岡空港国際線の駐車場に停めてあった車の中で、もうこらえ切れずに泣いて、泣いた・・・。涙が枯れるまで泣いた。嗚咽が止まらない・・・。
「この日くらいは泣いてもいいだろう。」とひとりつぶやきながら思い切り泣いた・・・泣きじゃくった。
肩を震わせて泣いた・・・。「親より先に死ぬのか!」「そんな親不幸なことはできん!」「家族にはなんと話せばいい・・・。」「会社はどうなるのか!」
『母さん、父さん、なんて私は親不幸な息子なんでしょうか。二人より先に死んでしまうんでしょうか。』
親より先に死ぬほど、そんな親不孝なことはない。
当然ながら、癌に対する知識が全くない私は、癌=死という図式が頭に浮かんでいた。
いろいろなことを思いめぐらせると、もう涙が溢れでて止まらない。今日は泣くだけ泣こう。
そう思うと人一倍涙腺の弱い私は涙が留めなく、滝が流れるように涙が滴り落ちていった・・・。
その日は2時間近くも車の中で、とにかく泣くだけ泣いた・・・。


たまたま同じスーツを着て同じネクタイを締めていた写真があったので、比較するとよく分かる。(今だから言えるが、まるでビフォーアフターのようだ。)
抗がん剤を打った写真の方が明らかに元気だ!
いよいよ腫瘍摘出の手術を受けることになる・・・。
そう、いま私は生かされている。
人生もベンチャーだ!
続く・・・。
「アウチ!」(欧米か!古いなぁ)と心の中で思った瞬間、「はい。もう終わりましたからね!」と先生・・・。
「二宮さん、検査結果は来週でますので、また1週間後の金曜日に来て下さい。」
それから、検査結果のことなどすっかり忘れて仕事に追われてたのある日の午後、私の携帯電話が鳴る・・・。
「二宮さん、済生会病院ですが、検査結果がでました。話したいことがあるので、ちょっと来てくれますか。」
いったいなんだろう・・・。
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そして約束の日、済生会病院の耳鼻科の診察室で、先生がなんだか神妙な面持ちでしかも自信なさそうに(私にはその時、そう感じた)私にこう切り出したのだ。
「実は、先日検査した細胞は・・・悪性でした・・・。一日も早く腫瘍を摘出した方がいいです。」心の準備ができないまま、癌の告知を受けたのだ!
癌の告知を受けた私は、まるで金づちで頭を殴られたかのように、気絶しそうなほどとにかくショックでした。そして、もう頭の中は真っ白です・・・。
病名は悪性リンパ腫・・・悪性、つまり癌です・・・。血液の癌ですから転移する可能性は充分にあるのです。あとで分かったことだが、実際、左側の頸部にまで転移していた。初回にも書いたが、癌の進行はⅡ期であった。
どうして、この私が癌になるのか!何か悪いことでもしたのでしょうか!現実を直視できない私は、しばらく待合室のベンチで頭をかかえてうずくまって泣いてしまった。涙が止まらない・・・。
その夜、仕事を終えた私は、福岡空港国際線の駐車場に停めてあった車の中で、もうこらえ切れずに泣いて、泣いた・・・。涙が枯れるまで泣いた。嗚咽が止まらない・・・。
「この日くらいは泣いてもいいだろう。」とひとりつぶやきながら思い切り泣いた・・・泣きじゃくった。
肩を震わせて泣いた・・・。「親より先に死ぬのか!」「そんな親不幸なことはできん!」「家族にはなんと話せばいい・・・。」「会社はどうなるのか!」
『母さん、父さん、なんて私は親不幸な息子なんでしょうか。二人より先に死んでしまうんでしょうか。』
親より先に死ぬほど、そんな親不孝なことはない。
当然ながら、癌に対する知識が全くない私は、癌=死という図式が頭に浮かんでいた。
いろいろなことを思いめぐらせると、もう涙が溢れでて止まらない。今日は泣くだけ泣こう。
そう思うと人一倍涙腺の弱い私は涙が留めなく、滝が流れるように涙が滴り落ちていった・・・。
その日は2時間近くも車の中で、とにかく泣くだけ泣いた・・・。


たまたま同じスーツを着て同じネクタイを締めていた写真があったので、比較するとよく分かる。(今だから言えるが、まるでビフォーアフターのようだ。)
抗がん剤を打った写真の方が明らかに元気だ!
いよいよ腫瘍摘出の手術を受けることになる・・・。
そう、いま私は生かされている。
人生もベンチャーだ!
続く・・・。
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